Re: FRBRって

 最初音楽で例を挙げたように、図書館のメインコンテンツである本でこれをやると分かりにくい。なぜかというと、本というのは著作〜体現形までが混然一体となって人に認識されるからです。音楽は物体でないから、体を持っている時と持っていない時の区別がつきやすいですが、本は最初から物体ですからして。源氏物語みたいな著名な古典は、体でなくそういう概念が頭の中にぼんやりあるからFRBRで語ることが可能だけども、一般の本はそうでない。著作=表現形=体現形なのです。だいたい古典でないと例を満足に挙げられない時点で、このモデルがいかに歪んでいるか分かろうというもの。こういうのは学者が理論で弄ぶべき類の概念であって、一般人には混乱の元です。じゃなきゃただの頭の体操。

図書館断想

 実際そのとおりで、FRBRのモデルはふつうの図書館ではおおげさすぎて、一般の利用者が使う限りでは、ManifestationとItemにあたる部分以外はそれほど必要とされないのではないかと思っています。これが活きるのは、図書館よりももっと厳密さの要求されるところ、たとえば博物館や文書館とか、書誌学の研究用途ではないでしょうか。

 とはいうものの、図書館の世界でも標準はこの方向に進んでいるように見えますし、それ以外の大きな動きも特に見受けられませんので、すっぱり無視するわけにはいかないのが悩みところです。

 各図書館が自分でWork/Expression/Manifestationの関連を管理するのは、量と質の両方の点で無理でしょうから、何らかの方法での関連づけの自動化や大規模な集中管理化は必須になるでしょう。それに、自動化で賄うことができないほど厳密さが要求される分野の資料であれば、その部分だけに手間をかけて作っていけばいいし、そういう需要がなければ自動化にまかせて、「これ変じゃない?」という指摘があったときに直すのでいいんじゃないかなあ、と思います。

 ちなみにProject Next-L Enjuでは以前から、Work/Expression/Manifestationの関連を管理するための部分と、Manifestation/Itemの関連(所蔵情報)を管理するための部分を、別々のシステムに分離する計画を持っています。前者が今回の学術情報オープンサミットで紹介する予定の「総合目録」に、後者が各図書館で運営する図書館システムに相当します。ただ、関連づけの自動化までは今回はおそらく手が回りません。

 んなことするぐらいなら、「体現形」的情報を書誌上にもっとよく記述したほうがよほどいいのです。つまり、本からの引き写し。

 たとえばRDAのドラフトに書いてあるだけでもたくさんありますね。